2010年03月02日

ワーシップリーダーとして成長していく

ワーシップリーダーとして、完成はないのだろう。
生涯学び、成長し続けていく。
ワーシップは主のリアルな臨在に触れる場だから、その時その時新しく主と出会うことができる。
まさにライブだ!

私はワーシップリーダーとして、長い間1人で格闘してきた。
リードについても、チームに対しても、どうしていいか分からず、いつも試行錯誤。
いろんな人に意見を求めた。ワーシップセミナーに参加したり、本を読んだり、いろんなワーシップスタイルを見たくて、ニューヨークまで行ったこともあった。
多くの貴重な意見を聞けた。いろんなワーシップを体験した。

そして、気付いたのは、やはり自分がもっと主を知ること、真の礼拝者、キリストの弟子として成長することが、ワーシップリーダーとしての成長になるということ。

お勧めできることは、こんなことです。

ー日々成長の為祈る。
ー良書を読む。ワーシップセミナーなどに積極的に参加する。
ーワーシップリードの機会を持つ。(やはりほとんどの人は、リードする経験の中で成長していた)
ー同じスピリットの仲間と話す。
ー好きなワーシップリーダー、シンガーの歌い方をマネてみる。
ー何より神様との時間!御言葉、祈り、礼拝する中で、主との関係、交わりを深めていくこと!

日本でますます力強い礼拝の手が上がっていきますように!
日本が礼拝者で、キリストの弟子で満ちることによって、まだ救い主に出会っていない人達が主と出会っていけますように!

そして、日本で主の栄光が輝きますように!

「日の上る所から沈む所まで、主の御名がほめたたえられるように。」
    詩篇113:3

「見よ。あらゆる国民、部族、国語のうちから、だれにも数え切れぬほどの大勢の群集が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と子羊との前に立っていた。彼らは、大声で叫んで言った。
”救いは、御座にある私たちの神にあり、子羊にある。”」
                   黙示録7:9-10


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2010年01月30日

セルフチェック

定期的に自分の態度、チームの態度を振り返ってみよう。

*今、神様との親密さは何点?
*自分は霊とまことによって礼拝する者として成長してる?
*自分は公的な場でも、私的な場でも、礼拝している?
*どんな時でも主をたたえ、感謝することを選び取っている?
*自分がしていることにおいて、最高のものを捧げる決心をし、実行している?
*自分が関わっている霊的な働きの為に、祈りを通して神に頼っている?
*自分が仕えている人々(チームメンバー、一緒に礼拝を捧げている人、その他の人間関係)と正しい関係を持っている?
*人からの賞賛、批判を、へりくだった心で受け止めている?
*スキルアップを心がけてる?
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2010年01月29日

ワーシップリーダーの癒し

人にはみな、癒しが必要だ。
ワーシップリーダーだって、強いから前に立ってるわけじゃない。
私たちも癒しのプロセスにある。

私たちは完全じゃないから、神様の見方も、信仰も、完全とは言えない。

もしワーシップリーダーが、神様を心から信頼してなかったらどうだろう?
もしワーシップリーダーが、律法的な人だったらどうだろう?
もしワーシップリーダーが、神様に怒りや不満を持ってる人だったらどうだろう?
もしワーシップリーダーが、傷をいっぱい抱えた人だったらどうだろう?

もしゆがんだ神様像を持っているなら、会衆はそのリーダーからどんなメッセージを受け取るだろう。

神様が神様だからたたえる、という礼拝の土台から外れてしまう危険があるよね。


前ワーシップセミナーをしてくれた外国からの牧師が言ってくれた。

「みなさんの中で、牧師によって傷ついた人がいるでしょう。私は牧師の代表としてみなさんに謝りたいです。ごめんなさい・・・」と。

彼のへりくだったその姿に、涙が出た。

賛美には人を癒す力がある。
だから賛美し続けよう。主の前に出て、主の癒しを体験し続けよう。

私たちは、何度も何度も主に自分をゆだね、捧げることが必要だ。
ひざをかがめて、「主よあなたにゆだねます。自分を捧げます。」と言うことが必要だ。
私たちは誘惑に弱く、高ぶりやすく、この世の流れに流されやすい存在だから。

そのプロセスの中で、もっともっと力に満ちた、確信に満ちた、主への賛美を捧げる者となっていこう。そんなワーシップを導いていこう。

posted by かずこんぐ at 13:48| Comment(0) | 賛美の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

あなたはクリエイティブ!

神様は自然界を通し、クリエイティビティ(創造力)を表現しておられる。
自然を見たら、神様のクリエイティビティがどれほどすごいか一目瞭然だ。
でも、もっとすごいのは、私達人間が、その神のイメージに造られたということ!

だから私達も、神様のクリエイティビティを受け継いでる!
人間の一番最初のクリエイティブな仕事は、動物に名前をつけることだった。

アダムとイブの罪によって、私達の内にある神のイメージはダメージを受けたけど、キリストのあがないによってまた修復された。

だから、クリエイティビティを使うこと自体が、神様を表すことになるんだ。そして私達のクリエイティビティを通して、全ての民が神ご自身を見、神を礼拝する者となることを神は望んでおられる。

「父はこのように(霊とまことによって)礼拝する者を求めておられる。」 ヨハネ4:23

与えられたクリエイティビティを使おう!
それは私達の内に与えられた神の御性質なんだ!
この神を、いろんな形で表現しよう!

「新しい歌を歌え」
聖書に何度も出てくるこの言葉。
キリストが私達の内に入ってこられたので、新しい歌も与えられた。
私達が日々体験する神との出会い、神の恵みの体験は、私達に新しい歌を歌う理由を与える。
だから新しい歌を歌おう。
神が私達の人生に生きて働いておられることを、証しするために!
posted by かずこんぐ at 12:55| Comment(0) | 賛美の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

音楽の力

GCOMM(Global Consultation on Music and Missions)の学びに参加した。
それぞれの国、民族、文化に合った方法で、クリエイティブに神様を、福音を表現していこう、というもの。

音楽に関しても、みんな独自の音楽スタイル、リズム感を持っていて、心に響く音楽は民族によって異なる。
だから、自分がメッセージを届けたい人のハートミュージック(心に一番響く音楽スタイル)を知る必要がある。

イエス様はよくたとえ話をされた。
それは、当時の文化、文脈で、メッセージを分かりやすく届ける為。

イエス様に質問をしてきた律法学者やパリサイ派の人達は、問いに対する答えをもう自分の中に持っていた。
でも彼らの知識は頭止まりで、心ではよく分かっていなかったんだ。

イエス様のたとえ話は、頭の知識を心に届けるのに役立った。
頭と心に橋をかけるアートだったんだ。

日本で伝道しててもよく言われる。「言いたいことはわかります。」

でも心にピンとこないんだ。だから受け入れることが難しい。

音楽っていうアートは、頭と心のかけ橋を助けるものの一つ。
神様のことはよく分からなくても、ゴスペルソングに感動する人は大勢いる。
自分でもなぜか分からないけど、涙を流す人もいるんだ。

相手の心に届く音楽を模索し、奏でていこう。
イエス様とのかけ橋ができるように。
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2010年01月28日

ダビデー心の中心に聖所を置いて生きるー

ダビデの人生は苦しみの連続だった。
「なぜ?」の連続だった。
忙しい王、戦いの日々、追い詰められることもしばしば。

でもダビデは多くの賛美を作り、霊的生活を送ることができた。
なぜだろう?

それは、彼が身近に賛美する奉仕の者を置き、24時間絶え間なく賛美に触れられる環境を作ったから。
(I歴代誌16章、23章、25章参照)
そしてそれは、自分の感情や状況に関わりなく賛美を聞いたり歌うことが、自分を罪から守り、信仰の成長に役立つことをよく理解していたから。

彼は心の中心に聖所を置いて生きていたんだ。

詩篇30:6にこうある。(新共同訳)

「ひとときお怒りになっても」→「命を得させることをみ旨とされる」
「泣きながら夜を過ごす人にも」→「喜びの歌と共に朝を迎えさせてくださる」

ダビデは神の普遍の愛、契約に基づく愛を知っていた。体験していた。

こんなたとえを聞いたことがある。

10円玉を太陽にかざすと、太陽はスッポリ隠れてしまう。
その10円玉を見てると、すごく大きく見えて、太陽よりも大きく見えてしまう。
でも実際その大きさは太陽とはケタ違い。
その10円玉が表しているのは、私たちの罪、試練、困難、不信仰、弱さ・・・。
太陽が表すのは神様。
私達が10円玉ばかり見てると、太陽(神)はすごく小さく感じてしまう。
本当は違うのに。

詩篇30編の続きにこうある。

30:7,8 
「平穏な時」→「私はとこしえに揺らぐことがない」
「み顔を隠されると」→「たちまち恐怖に陥りました」

秘訣は、10円玉じゃなくて、太陽(神)を見続けること。

ダビデは10円玉を見ていなかった。
彼は、神を見続けてた。
心の中心に神をおいて、神をたたえる聖所を置いて生きていた。

そしてそんな彼を、神はこう呼んだんだ。

「ダビデが主の目にかなう正しいことを行い、ヘト人ウリヤの一件の他は、生涯を通じて主のお命じになった全てのことに背くことがなかった。」     I列王記15:5

私達もダビデにならい、心の中心に聖所を置いて生きよう!

「私の魂があなたをほめ歌い、沈黙することのないように!」           詩篇30:13

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2010年01月27日

救命救急病棟

以前骨折して、しばらく病院に通った。

病院に行ったらまずすることは・・・
「ここが痛い」「こんな症状で・・・」と、自分の状況をドクターに説明する。
一通り現状を伝えたら、それで帰っちゃう人はいる?

まさか!
これじゃあ治らない!

今度はドクターが悪いところを調べてくれる番。そして、どうしたらいいか治療法を聞く番。
そうすることで、回復のステップを踏んでいく。

じゃあ神様の所に行く時、みんなはどうしてる?

「神様、これが大変です」「このことを何とかしてください」「これを助けてください」

以上!
終わり!

あれあれ、これだと自分の心は治らないし、何も変わらないね。
神様の語る番は?

自分の口を閉じて、今度は神様が語られるのを聞こう。
真理の光で心を照らしてもらおう。主に診てもらおう。

礼拝の中で、この2つができたらすばらしい。

自分の心を言う事。
神様の声を聞く事。

そうすることで、初めて自分の心はイエス様の聖さに、愛に、近づいていくんだ。

Iサムエル1章には、預言者サムエルの母、ハンナが登場する。
子がなかった彼女の苦しみは激しく、主の家に上った際、主の前で長く、長く、祈り、心の願いを注ぎだしていた。
祭司エリに、「安心して帰りなさい。神があなたの願いをかなえてくださるように」と語られた彼女は、そこを去り、食事をしたが、「彼女の表情はもはや前のようではなかった。」
その後彼女はサムエルを産む。

「彼女の表情はもはや前のようではなかった。」

主の前に出た彼女に何が起こったんだろう?
主がその変化を起こされた事に間違いはない。

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2010年01月26日

マリアとマルタの礼拝

チームでディスカッションしてみよう!

*ルカ10:38〜42を読んで、マリアの礼拝、マルタの礼拝の形から何を学べるだろう?



よく聞くのは、マリアは主の下で教えを聞き、良いほうを選んだ者。
マルタは忙しく動き回って、注意された者。

私はどちらかと言えばマルタのタイプ。でも彼女が全く良くないとは思わないんだ。
実際イエス様を家に招き入れたのはマルタだった。
すばらしい!
そして、もてなす心でいろいろ立ち働いていた。

問題なのは、「せわしく」動いていたこと。そこにはイエス様の入るスペースがなかった。

私達も賛美リードする時、リードすることでいっぱいになって、イエス様のスペースがなくなってない?

そのマルタから出た言葉は、
「私だけにもてなしをさせています」
「手伝ってくれるように言って下さい」
「何ともお思いになりませんか」
だった。

一緒に主を礼拝しているはずの仲間を非難して、「私だけが・・・」と思ってしまうことはない?
そして、「一緒に」というよりは、「リードする私を手伝って」と考えてしまうことはない?
会衆が賛美してないように感じる時、チームが思い通りについてきてくれない時、「何とも思いませんか?」と愚痴りたくなっていない?

マルタの心をいっぱいにしていたのものは、「思い悩み」だった。
賛美リード中、リードすることや楽器のことなど、思い悩みで心がいっぱいになっているなら要注意。

大切なのはマリアのように、主に聞くこと、主で心をいっぱいにすること、主との時間を楽しむこと、主にフォーカスすること。
精一杯リードしつつ、心に主のスペースを作ろう。そこに平安がある。
posted by かずこんぐ at 14:52| Comment(0) | 賛美の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月25日

賛美の父、ダビデ

IIサムエル6:12〜19

神の箱がイスラエルに帰ってきた!
竪琴、琴、太鼓、鈴、シンバルを奏でて、神の箱を運ぶ。
まるで大名行列だ!(見たことないけど、笑)

でも主役は大名じゃない。神だ!

神の箱は、主の臨在の象徴。その箱が、たった6歩進んだ時、ダビデはいけにえを捧げた。主の御前で、力の限り踊った。
イスラエルはこぞって喜びの叫びをあげ、角笛とラッパを吹き鳴らした。

箱を安置すると、ダビデは焼き尽くす捧げ物と、和解の捧げ物をささげ、民におみやげ(パン、なつめやしのお菓子、干しぶどう)を持たせ、祝福した。


・・・すごいお祭りだね。


なぜダビデは、神の箱が帰ってきたのをこんなに喜んだんだろう?
それは、神の箱が、神が共におられるしるしが、70年ぶりに帰ってきたから。(ペリシテ人に奪われてた)
どうしてもこの箱を取り戻したかったんだ。

ダビデは心から神に向かって礼拝した。人々に神の箱の価値を示した。
国の存続に関わる、大きなことなんだと。
これを礼拝をもって表した。国をあげての礼拝をしたんだ。


主に用いられたい時、技術や、スタイル、学位なんかじゃなくて、人格、心が大切だ。
人を赦せるか、悪口を耐えられるか、信仰によって生きているか・・・・。

この人格を練るために、私たちは苦しいところを通らされる。いろんな所へ導かれる。

陶芸したことはある?
”それ”は、回され、焼かれ、くさいものを塗られ、また焼かれ、しばらくほっとかれ・・・・・・そうしてついには信じられないくらい美しい姿になる。
私たちも神様の手の中で、このどこかの段階にいるんだ。

ダビデはゴリアテを倒した時、羊を飼っていた時、サウルに仕える時、殺されそうになる時、洞窟にいる時、どんな時でも礼拝した。神を信頼した。愛した。
それは彼のライフスタイルだったんだ。

「私たちの神への態度によって、人々は神の価値を知るようになる。」

私たちが力強い、心からの、ダイナミックな礼拝を捧げる時、その対象はすごいってことを示している。

私たちはどんな価値を神に認めているだろう?
それは私たちの礼拝にかかっている。
posted by かずこんぐ at 11:55| Comment(2) | 賛美の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月24日

スタイルの違い、乗り越えられる?

賛美の好みはいろいろ。
聖歌、賛美歌が好きな人。アメリカのプレイズ、オーストラリアのプレイズが好きな人。
にぎやかな賛美が好きな人。静かに賛美するのが好きな人。

よく耳にするのは、礼拝のスタイルを変えたいけど、変えられない若者の悩み。
みんな、より良いものを求めてるけど、何が「より良い」んだろうね?

礼拝スタイルが合わない(違う)ことで難しさを感じる理由には、いろいろあると思う。
みんな違った味覚を持っていて、自分に快いものを好むんだよね。
そして時には自分のやり方が正しいと思い、自分のやり方が神のやり方だと思ってしまう。

なぜ違いがあるんだろう?
神に出会うとき、それぞれ特別な文化の中で、特別な仕方で出会うから。成長過程もみんな違う。

まず大切な事は、私達はチームなしでは何もできないということ。
だから、「より良い」礼拝を求める人は、へりくだって、歩み寄ってみよう。

霊的リーダー(牧師など)、ワーシップリーダー、バンドのつながりが深くなるのを助ける4つのことを挙げてみるね。

1.一緒に祈ったり、御言葉を学ぶ。
時間を共に過ごそう。それぞれがしていることを理解しよう。

2.ビジョン、目的、価値を明確にしよう。
気持ちを分かち合おう。ゴール、礼拝の重要要素について、互いの持っている確信を聞き、礼拝の目的を果たすことに同意しよう。

3.一緒に計画しよう。
礼拝スタイルをどうするか、話し合おう。誰が権威を持つか、互いの役割も確認しよう。

4.とにかくコミュニケートする!


チームでディスカッションしてみよう。

*今チームの抱えている問題、悩みはどんなこと?
*その解決の為に今一歩できることは何だろう?
*その為に共に祈ろう!

もしかして、話し合っても折り合いが付かない、どうしようもない場合もあるかもしれない。
そんな時は・・・・・祈って、神様が何を言おうとしているのか聞こう!
もしかして今は待つときかもしれない、訓練の時かもしれない、チームが忍耐し、成長するときかもしれない。チームが祈りに心合わせるときかもしれない。


日本にはクリスチャンが1%未満しかいない。
その中で主を礼拝している仲間を、家族を喜ぼう。
共に賛美することを喜ぼう!
posted by かずこんぐ at 11:41| Comment(2) | 賛美の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月23日

マンネリ打破!

新約時代の今、礼拝スタイルは自由だ。
クリエイティブに、主を礼拝しよう。

クリエイティビティ(創造性)というのは、familier(なじみあるもの)をflesh(新しい視点)で見ることらしい。

私は、ドラマ、ダンス、映像などを礼拝に用いるのが好きだ。

例えば、こんなことをしてみたらどうだろう?

1.礼拝の要素の順序を変えてみる。そしてそれをしばらく続けてみるなら、慣れて快くなっていくはず。
同じものの繰り返しはインパクトを減らしていく。逆にバラエティはインパクトを与える。

2.要素1つ1つの内容(バリエーション)を変えてみる。例えば、司会を立てずにプログラムを進めたり、普段使っている楽器を変えてみたり、曲のアレンジを変えてみたり。

3.祈り深く計画して、練習する。変化が早すぎると違和感だけ引き起こしてしまうかも。自分にしっくりくるまで練習してみよう。

変化させる為には4つのグループの人が変わらなければ(ついてこなければ)ならない。

*自分  
賛美はあなたの為にあるんじゃない。人に仕えるためだ。人はそれぞれ、違った好みや価値観を持っている。あなたの心を柔軟にしよう。

*霊的リーダー  
尊敬と愛と親切心を持って、確信をもってコミュニケートしよう。

*ムードメーカー(オピニオンリーダー)  
あの人はどう思ってるかな?とみんなが耳を傾けるタイプの人だ。その人は影響力がある。

*会衆

料理には合ったスパイスを使うように、ふさわしいスパイス(要素)を入れるなら、すばらしい(おいしい)礼拝になる!

そして、変化を加えていく目的が、会衆が神と出会う場所をクリエイトするってことを、忘れないようにね。 

チームでディスカッションしてみよう!

*今の礼拝が更に生き生きとしたものになる為に、何か新しいことができるだろうか?
posted by かずこんぐ at 13:15| Comment(2) | 賛美の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月22日

ワーシップリードしたくない時

その時の自分の状態、リードのプレッシャー、憂鬱、気の進まなさ・・・。
いろんな理由でワーシップリードしたくない時もあるよね。でもしなきゃいけない。(いや、すべきだ!)

私は大体の時、リードしたくない気持ちになるよ。特に本番直前は。

ワーシップリードは霊的な働き。私達が神様を礼拝するなんて、サタンは大嫌い。だからワーシップリードはサタンの攻撃、霊的戦いが激しい戦場。リーダーをつぶせばその礼拝は骨抜きになるわけだから、サタンも必死だよね。


チームでディスカッションしてみよう!

*ワーシップリードしたくない、でもしなきゃいけない時、あなたならどうする!!?


私はこうやって対処してます。

ー1人になり、1人で礼拝し、自分を主に捧げ、そして戻ってくる。
ーシンプルに礼拝する。無理をしない。
ー「神様、助けてくれますか?」と聞く。
  答えはいつも「Yes!!]


私が弱い時こそ、主の力が放たれて、すばらしい礼拝の時になることを何度も、何度も、体験してきた。
だからいいんです。
リードしたくなくても。
そこに弱さを覚えても。
聖霊の力が解き放たれることにゆだね、自分はできませんと告白し、助けてくださる神様に信頼して、堂々とみんなの前に立ちましょう。

「権力によらず、能力によらず、ただわたしの霊によって!」 
                      ゼカリヤ4:6

「シオンよ、恐れるな。力なく手を垂れるな。お前の主なる神は、お前のただ中におられ、勇士であって、勝利を与えられる。
主はお前のゆえに喜び楽しみ、愛によってお前を新たにし、お前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。」                         ゼパニヤ3:16〜17

主があなたのことを喜び楽しみ、歌をもって楽しんでおられるよ。
posted by かずこんぐ at 17:17| Comment(0) | 賛美の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月21日

会衆が礼拝してなく見えるとき

一生懸命賛美を導いても、会衆が乗ってこない、礼拝してないように見える時も、あるでしょう。

私が前、すばらしい礼拝を体験した後で、その時のワーシップリーダーにこんな質問をした。たぶんないだろうと思いながら。

「会衆がついてきてないと思えることはあるんですか?」

その人の答えは、「いつもそうです」だった。

ビックリ!

その時の私には、会衆みんながとても礼拝しているように見えたから。

「じゃあ、そんな時どうしてるんですか?」と、当時悩んでいたことを聞いた。
すると、「会衆が賛美してなくても、自分は思い切り主を賛美する。牧師よりも、誰よりも、自分は賛美します。」

この人の言葉は、今でも私のワーシップリードに生きています。

でも、会衆が礼拝してないように見える時、もしかして何か妨げているものがあるのかもしれない。それを探し、取り除いてみることも必要かもしれないね。(ワーシップリーダーの役割3参照)

あとは、個人個人が神様の前に、心の内にあるものを出せるように祈りの時間を取るとか。
神様の恵みに目を向けられるように、御言葉を分かち合ったり、賛美する理由について分かち合ったり、感謝する時間を持ったり。

そして、祈ろう!会衆一人一人が、神様の前にオープンな心で出られるように、主との交わりを持てるように、とりなそう。

覚えておくことは、見た目でその人が礼拝しているのかどうか、私たちには分からないということ。その人の心は、主だけがご存知だから。

必要なら、気になった人(礼拝してなく見えた人)と、礼拝後個人的に話し、状況を聞いて共に祈るのもいいと思う。その人が神様の前に出るのが困難な理由が分かるかもしれない。
posted by かずこんぐ at 18:38| Comment(2) | 賛美の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月20日

イエス様が賛美リーダーだったら

チームでディスカッションしてみよう!

*前に立つ者として大切なことは何だろう?
*ピリピ2:1〜8、ヨハネ17:4から学べることは?

私が前チームのみんなと話した時は、こんな答えが出たよ。

前に立つ時大切なことは・・・

礼拝の喜びを表現する
罪を告白している
へりくだる
自己主張しない
肉の力を捨てる
祈り
愛する心(神様を、会衆を)
しっかり練習
真実な心
会衆をリードするリーダーシップ


神の働きをする時、キリストは神の姿を捨てた。自分を無にした。
私達も前に立つ時、賛美奉仕する時、同じ心構えが必要だ。
奉仕に私情を持ち込んではいけない。
いろんなストレス、問題がつきまとう人生を生きている私たちには厳しいことだけど、でも自分に死ぬことが、人に仕える根底にあるよね。

そしてキリストは、「行うようにとあなたが与えてくださった業を成し遂げて、地上であなたの栄光を現しました」と言われた。

私達もワーシップリードする時、神の働きをしている。神様が与えてくださった業だから、聖霊様の導きに敏感に、従順になる必要があるね。

I列王記8:10-11には、「その時神殿は雲で満ち、祭司達は奉仕する事が出来なかった」とある。
神様の栄光が、臨在が、その場に満ちたから、奉仕者達はもう奉仕する事ができなかったんだ。
こんな賛美の時間を過ごしたいと思わない?
私たちがもう何もできなくなる位、圧倒的な主の臨在がそこに満ちる。
賛美チームの存在は会衆の意識から消えて、ただ主だけを思う。
私たちも、自分の冠(誇り、権利)を投げ出して、主の前にひざまづくんだ。(黙示録4:10-11)

聖霊様が働かれることを熱心に求め、へりくだって仕えていこう。
「地上であなたの栄光を現しました」と言えるように。

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2010年01月19日

旧約の礼拝、新約の礼拝

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*旧約時代の礼拝と、新約時代の礼拝と、何が違うだろう?
何が同じだろう?
5W1Hで考えるといいよ。(誰が捧げてた?いつ?場所は?何を捧げた?どのように?)


旧約時代、捧げ物をしたのは祭司でした。毎朝夜、そして年1度、神殿で。捧げたものは、初物、初子、傷のない動物。

新約時代、捧げるのは全てのクリスチャン。
時は、いつでも!絶えず!(ヘブル13:15)
場所は、どこでも!
捧げるものは、自分の体(全て)!(ローマ12:1)

時代は違っても変わらないのは、いつも主にベストを捧げること、そして、常に捧げること。

神様ご自身が私達に、ご自分に近付く方法を教えてくれた。幕屋で、神殿で、そして今は、キリストによって、大胆に神に近付くことができる。(ヘブル10:22、エペソ3:12)

礼拝は、いつも神の民の生活の中心にあったもの。そこからいろんな祝福が流れていった。人生、生活が祝福された。勝利を体験した。宣教も前進した。
でも礼拝がないがしろにされた時、罪がはびこり、祝福から離れ、死につながった。

変わらない主は、いつの時代も変わらない捧げ物、礼拝、ご自分の民との関係を求めておられるんだね。

今は恵みの時代。
恵みの主に、いつも感謝と賛美の捧げものを捧げていこう!
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2010年01月18日

賛美はいけにえ

チームでディスカッションしてみよう!

*賛美はいけにえってどういうことだろう?
(ヘブル13:15)


いけにえということは、こっちの状態に関わらず捧げる、ということ。
自分の感情、状況に関わらず捧げる、ということじゃないかな。

旧約時代も、絶えず決められた時にいけにえが捧げられていたよね。それは民の状況によって左右されるものではなかった。

なぜそうすることが求められているんだろう?

それは、
賛美することは主の命令だから。
主は私たちの状況に関わらず、すばらしい方だから。
永遠の命をくださったから!(これに勝るものはない)

私たちの生活にはいろんなアップダウンがあるけれど、主は永遠に変わらない方。賛美を受けるにふさわしい方。

だから私たちも自分の状況に左右されず、神様がどういう方かにフォーカスを置いて、絶えず賛美を捧げていこう!

賛美を捧げる時、いつもいつもやりやすい、心地良い、都合のよい時ばかりではない。
努力、エネルギーを要する、犠牲的な時もある。でもそんな時でも、信仰によって主をたたえることを選ぶとき、私たちの肉の思いは砕かれ、新しくつくり変えられる。神様のやさしいタッチを体験する。

私たちが信仰によって捧げる時、神は喜ばれ、必ず答えてくださるんだ!


「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いて下さる方であることとを、信じなければならないのです。」
                   ヘブル11:6

「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなた方に近づいて下さいます。」
                ヤコブ4:8  
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2010年01月17日

賛美の力

チームでディスカッションしてみよう!

*賛美すると、どんなことが起こる?


心を開く
癒し
解放される
平安になる
感謝の心になる
救い
力を得る
ポジティブになる
従順になる
悔い改める


なぜ、そんなことが起こるんだろう?
それはきっと、神様の臨在にリアルに直面するから。
本物のワーシップは、実を結ぶ!
心に変化をもたらし、成長をもたらす!

賛美って、メッセージ以上にメッセージ性があると思う。
メッセージはある意味受身で聞けるけど(もちろん能動的に反応しなきゃダメだ)、賛美は、その言葉を自分の口で告白するわけだから。
すごくパワフル!

賛美すると、その歌詞(言葉)がその人の頭、心に入り、その人に語りかける。
生活、心をその言葉で照らしてくれる。
そして神様の視点で見れるようにしてくれるんだ。

だから歌詞には慎重になる必要があるね。それがそれを告白する人の信仰を形作っていくんだからね。

賛美してネガティブになることはまずない。
賛美する生活で、主の真理の言葉が心を支配するようにしよう。
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2010年01月16日

礼拝への期待感・・・ある?

チームでディスカッションしてみよう!

*どんなことに期待して礼拝に来てる?


3人の人物から学んでみよう。

1.サマリアの女(ヨハネ4:20〜24)
2.東方の博士(マタイ2:1〜12)
3.マグダラのマリア(マルコ14:3〜9)


1.サマリアの女性に関しては、ワーシップリーダーの役割1ですでに見たよね。
彼女は宗教的なことを話したけど、イエス様は礼拝の本質(霊とまことによって捧げること)を話された。

2.東方の博士は何をしに出かけたんだろう?
高尚な神学的講義を聞くため?
そうじゃない!
救い主に会うため出かけたんだ!
主を礼拝した彼らは、違う道から帰っていった。それはもちろん主がそう言われたからなんだけど、でも人は神と出会った時、変えられて、今までとは違う道を歩み始めるんだ。

3.マリアの礼拝はすごい。
高価な香油を惜しみなく主に注いだ。
周りの人たちが、「こんな無駄遣いして!」と怒り出すほどに。
人々にとって彼女のしたことは、無駄な行為だった。
でもこの人はできる限りのことをして主を礼拝したんだ。
責める人々に対し、主は、「するままにさせておきなさい。私に良いことをしてくれたのだ。私を礼拝しているのだから」と言われた。

私達も礼拝に期待しよう。
ー主との霊的交わりを
ー自分を変える神との出会いを
ーできる限りを捧げられることを
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2010年01月15日

力強いワーシップ、力のないワーシップ

チームでディスカッションしてみよう!

*今まで自分が体験してきたワーシップで、力強いワーシップはどういう特徴があった?逆に力のないワーシップは?


私はこんな答えをもらいました。


力強いワーシップ

主の力強い臨在
御霊への敏感さ
賛美への確信、自信
信仰によって捧げている
神のほうに導こうとするリーダーシップ
チームの目が神様に向かっている
神の力をアナウンスする、御言葉を大胆に用いる
神がどういう方、何をしてくださったかにフォーカス
正直
砕かれた、悔いた心、へりくだり
行動(神に応答)したくなる
飢え渇き、神様のして下さることを受け止める期待感
人生が変わる
イエス様を信じる人が起こされる
疲れが取れる、癒される
リーダーだけじゃなく、皆がワーシップリードで一つになっている、一体感
チームワークがある
信頼感、互いの音を楽しんでいる
飽きない、メリハリある演奏


力のないワーシップ

内容がうすい、御言葉の本質がない
神への信頼、愛がない
歌詞が迫ってこない
人間的、内省的
人間の力で導く、ノリ、盛り上げさせる、自己満足
自信がない
マンネリ、惰性、期待感がない
受動的
バンドに一体感がない
音にのれない、音がおかしい
失われた魂への思いがない
リーダーが御言葉に根ざして歩んでいない
祈り不足


賛美に力を与えて下さるのは聖霊様。
しかもワーシップを力強いか、力がないかと感じるのも、人それぞれ違うから、上のリストは参考までにしてね。

どんなにきれいに決めても、練習しても、聖霊様が中心におられ、心に働かれなければ虚しい。
だから、聖霊様が働かれることを歓迎し、待ち望むことが私たちにできる最大のことかな、と思う。

How we do(いいものを作る)より、 Who we are(私たちがどういう者になっていくか)の方が大事だね。

もちろん聖霊様が働きやすいワーシップの環境、流れを作ることはワーシップリーダーの務め。
そしてそれ以上に、聖霊様が働かれやすい「自分」になっていくことを追い求めよう。

posted by かずこんぐ at 14:57| Comment(0) | 賛美の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月14日

進化するワーシップチームの為に

ワーシップチームが成長し続けていくことが、より深いワーシップを体験するカギの一つだと思う。


チームでディスカッションしてみよう!

*チームとして成長していく為にどんなことができるだろう?


1.自己満足したり、怠惰にならないで、教えられやすい態度を持とう。

2.建設的批判を聞こう。それを個人的に受け取らないように。最高のものを捧げるために私たちはいるんだ!
だから、賛美の仕方や演奏を高めるための色んなアドバイスを喜んで受け取ろう。

3.チームの一致を保とう。1つの目的と、1つの心を持って進んでいく。それは神様の栄光を現し、神への礼拝へと人々を導く。
だからメンバーの考えの違いを受け入れ、一致に向かって歩み寄っていこう。
その為チームで遊んだり、食事したり、一緒に御言葉を学んだり、祈りあったりして、互いを知る時間を持とう。そして練習以外でワーシップする時間を持つといいよ。
また、リハーサルは楽しくね!

4.霊的に、音楽的に、センスを磨こう。音源や、他のワーシップリーダーのもとで礼拝を捧げよう。そこから学ぶことも多いはず。
また、神様との関係を深めることにおいて成長していこう。神様を知れば知るほど、礼拝は深まり、幅も広がるはず。

5.聖霊の油注ぎ(力)を祈っていこう。主が自分を、チームを、もっと祝福し、成長させ、働かれるようにと求めよう。


サタンの起源は、天使長。
ワーシップリーダー的存在だった彼は高慢になり、自分に酔って、自分に栄光を帰そうとした。
それで地に投げ落とされたんだ。 
私達も高慢(自己マン)というわなに落ちて、サタンと同じ羽目にならないよう気をつけよう。
向上心と、教えられやすい心を持って、学び続けていこう。
posted by かずこんぐ at 17:02| Comment(0) | 賛美の学び | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする